死は平等
こんばんは。最近ギックリ腰になったり謎の吐き気に襲われたりしてます。メンタルは元気ですよ、試験も近いし少しは病めって自分でも思います。
今日はちょっと重い話になるのかなぁ、死についての話です。別に病んでるとかそういう話ではないです。
Twitterで100日後死ぬワニの話を1日ずつ描く人がいるんです。でもそのワニは至って普通の生活を送ってるんです。100日後死ぬとも知らずに。どんな結末になるか今からもう楽しみです。
それまで生きていられれば、ね。
何気ない生活を送っていてもある日突然災害や事故にあったりして命を落とすこともありますよね。あのワニもきっと最期はそうなるんでしょう。だからと言って毎日死に脅えながら生きるのも違うと思います。日々何事にも感謝する、なんてのも綺麗事で馬鹿らしいので普通に生きればいいと思います。終わりが来ればそれが終わりなんだって受け入れればいいと僕は思ってます。後悔なんて山ほどあるだろうけどそんなのもう過ぎた話だし自分らしく自分のペースで歩めたならいいかなと。
それに、そんな長生きしたいとも思わないです。だらだら生きるくらいなら人生満足した所で終わってもいいと思ってます。人生満足することが本当に来るか知らないですけど。
別に自分の命を粗末に考えてるわけじゃ決してないですよ。ただ生き長らえるのは嫌だし、自然の摂理には抗えないから受け入れるしかないっていう。
君の膵臓をたべたい という映画が数年前流行りましたね。ネタバレになるので見たくない人はなんかどうにかしてください。記憶を辿るので結構あやふやなとこありますが。自分語りをすると僕は原作の小説派です。
あなたの寿命はこれだけです、と医者に告げられた重い病気にかかった女の子。死は平等だよ。ってのが彼女の口癖でした。寿命が来るまでの数ヶ月、数年、彼女は人生を謳歌しようと旅に出たり未成年なのにお酒を飲もうとしたり色々するんですね。でも結局最後は友達との待ち合わせ場所へ向かってる途中で通り魔に刺されて亡くなる。病気とは無関係に。
例え重い病気にかかって寿命が分かってもそれとは無関係で死は平等にあるんだと。死ぬ順番に年功序列もくそもないです。確率論とはまた違うけどそれに近いものだと思います。
まとめ方あんまり上手くないんですよね。いつもどうすればいいか迷ってしまう。
まぁ、うん。みんなも気を付けてね。
ここまで書きましたが、僕のメンタルは正常を維持したままできました。何も異常はなかったです。何も異常はなかったです。何も異常はなかったです。何も異常はなかったです。何も異常はなかったです。何も異常はなかったです。何も異常はなかったです。何も異常はなかったです。何も異常はなかったです。何も異常はなかったです。何も異常はなかったです。何も異常はなかったです。何も異常はなかったです。何も異常はなかったです。何も異常はなかったです。何も異常はなかったです。何も異常はなかったです。何も異常はなかったです。何も異常はなかったです。
かみきった
こんばんは、最近空ばっか見てます。中学生の頃は天文学者になりたいなって思ってる時期もありました。夢は夢であって現実ではないんだなって思いました。
きゃーかっこいいーー!!!
そんなことより、髪切ってきました。今日は日記です。美容院で切ってきたんですけどそこで切るのは2回目ですね。それまでは家の近くの美容院できってもらってたんですけどちょっと高かったので。電車で30分ほど揺られながら行きました。
結構ウェイな人が行く場所で僕みたいな地味な人が行くとこじゃないなかったです。
まぁそんな地味な僕ですが、なんとココ最近家から出てません!言うて3日くらいだけど。
まぁ家族以外の人間と話すは5日ぶりくらいだけど。さらっと毒を盛るな。
しかも元から人見知り激しくて、いわゆるコミュなんちゃらってやつなんですけども。
美容院って美容師さんと結構話すじゃないですか。もうちゃんと話せるかとか人間の言葉話せるかなとか頭の中ぐるぐるしてました。
まぁ今日は美容師さんと話したことをちょっと書いていこうと思います。 美容師さん 僕 です。
学生ですか?大学生ですか?
とまぁありきたりな言葉から始まりました。
そうです。……浪人生です!
とちょっと間を置いての返事。僕の頭の中では、大学生って言った方がいいのかな、でもサークルとかどう?とか色々言われたら面倒だしこの前の美容師さんには浪人生って言っちゃったしでも浪人生って言うのなんか恥ずかしいなと。この間わずか3秒。続けて僕は
大学生ですってよく嘘ついちゃうんですよね〜ははは〜…
と。!?僕は何言ってるんだ!?!確かによくさらっと嘘つくけどなんでそれ今言う!?!?美容師さん困惑するじゃん!?!?となりつつも
頑張ってるんだなあって思うんで大丈夫ですよ!!あぁ美容師さん、あなたはいい理解者だ。お世辞でもよかったと安堵しました。鏡に映った僕の顔は真っ赤っかでした。
テレビゲームとかされてるんですか?
最近やってないですねえ…。昔は結構やってましたけど。
これはほんと。最近勉強ばっかで中々やる時間ないからね。
手軽なスマホゲームくらいしか。とは言いませんでした。なんのゲームですか?とか言われるとなかなか面倒なんで。僕はどっちかって言うと話すより聞いてたい方だし。
ゲームとか上手そうですもんね、上手いでしょ?
!?ゲームオタクだと思われてる!?!?いやまぁ確かにゲームはそこそこ得意だけど。でもちょっと腑に落ちないところがありました。
次成人式?
次の次ですね
なるほどね、やっぱり行く?
まぁ多分行きます。
俺中学の時ハブられてたことあったから全然楽しくなかったよ笑
あぁ、そうなんですね……
そんな経験ある?
あれ、これもしかして僕陰キャラ認定されてる…?
いや別に自分が陽キャかと言われたら違うし中間生物だと勝手に思い込んでたので。異論は認めません。
でもちょっとショックでした。他にも色々自分から話したりもしたしコミュ障ではないんじゃないかなって思います。多分。異論は認めません。
まぁ髪の毛スッキリしたのでよかったです。髪の毛重いと自然と心も重くなるような気がします。さっぱりして心もさっぱりしました。風吹いて前髪ぶわあああってならずに済んだの大きいです。
落ちが弱い。弱すぎる。
うーーん…。
ドラえもんのキャラって驚くと髪の毛ぶわぁってなるじゃないですか?
こんな感じに。
これなんでだか知ってますか?
驚く時なんて言いますか??
ヘアーーーッ!!!!(hair)
記念日
こんばんは、月日の流れは速いですね。
今日こんなメールが届きました。
今日でこのブログ開設してから半年経ったみたいです。友達がやってたから何となく始めてみたこのブログ、まさかここまで続くとは思いませんでした。
最近昔の自分の投稿振り返る機会があったんですけど始めた時と比べて考え方とか多少変わった気がします。ヨルシカのおかげだって思ってます。
芸術が人生を模倣する。
ヨルシカの音楽が僕の人生を変えた、そう言っても過言じゃないくらいです。
自分の楽しみのためだけにただひたすらに書く。
それが生きてる中で1番心が満たされてるように感じます。
とりあえず、長い事見てくれた人、最近見始めた人もいると思いますがありがとうございました。これからも僕なりに好き勝手書くので好き勝手読んでください。たまには面白いような文でも書こうかなって思ったり思わなかったり。
夕暮れ
こんばんは、最近空の写真をよく撮るようになりました。
特に秋の夕暮れが昔から好きでした。秋は夕暮れ、なんて言いますし昔も今も同じ夕暮れなんですかね。昼から夜へ白い雲が紅く染まる時間。子供の頃、友達に別れを告げて家に帰る時間。夕飯は何かなって考える時間。
話したらキリがないけどそれだけ空も好きだし夕日も好き、秋も好き、そんな僕です。
小学生の頃、枕草子の授業してる時に先生が言ってた言葉ずっと覚えてます。
そんな空が紅と藍の色に染まる時間帯、昔は色んな地方で色んな呼び方がされてきました。
逢魔時、黄昏時。
逢魔時
読み方はおうまがとき。大禍時(おおまがとき)とも言います。
読んで字のごとく魔物や妖怪に遭遇する時間。もしくは大きな災いが起こる時。太陽が沈んで魔物が動き出す時間、みたいな感じです。
友達と別れた後、妖怪に会ったりしないか好奇心と恐怖心が混ざりあって楽しかったです。
黄昏時
読み方は有名だから分かるよね。たそがれどき。
日が沈んで暗くなった時すれ違う人が誰か分からない、そんな時に「あなたは誰ですか?」と声をかける。それを昔は「たそかれ」って言葉を使ってたのでそこから「たそがれ」という言葉になりました。だから「誰そ彼時」なんて書くこともあります。
こうやって見てみると魔物が出る時間にすれ違う人が人かどうか分からないから「誰そ彼」という言葉を使う、なんかストーリーチックでいいですよね。だから夕暮れが好きってのもあります。
数年前有明海に行った時の写真です。
やっぱりこういう時間帯が1番落ち着きますよね。風情があるというか趣がある。この世の神秘。日が沈みかけてて、綺麗だから眺めてたり写真に収めようとしてたらいつの間にか真っ暗。一瞬で終わる儚い時間ですね。改めて見ると太陽の上澄みが空に残ってるみたいですね。
問うてみる
紅き魔に藍
誰そ彼と
ヨルシカ
こんにちは、お先真っ暗くらくら佐々木蔵之介。どうも。最近めっちゃ寒いですね。気温1桁にもなってきてるし、冬だ。秋なんてなかった。最近忙しくて夜しかゆっくり休めません。夜しか。
今日はまた僕の好きなアーティストを紹介します。
ヨルシカ
作詞作曲、ギターのn-bunaさん。
そしてボーカルのsuisさん。
この2人です。
n-bunaさんは初音ミクの夜明けと蛍、ウミユリ海底譚で人気のあの人です。
ヨルシカがどんな曲を書くのか本当にざっくり解説するとテーマは2人の男女。作曲してるエイミー(男)と彼と仲のいいピアノを弾くエルマ(女)。
エイミーは結構変わり者で音楽は偉大だっていう感じの人です。エルマは割と一般的な感じ、なのかな。
男女の話だけどラブストーリーなんてそんな甘いような話じゃなくて人間の内面を表すような深い話、音楽の人生。芸術の人生。
彼らのどこに惹かれたのか。
もう全部です。好きなものにおいて好きな所は全部って言い方、盲目的で僕はあまり好きじゃないんですけど、全部好きです。曲ももちろん、その曲のバックグラウンドとか。でも1つだけ挙げろって言われたら価値観です。
僕の価値観はヨルシカで確かな固いものになった、それほど大きく僕の心に影響を与えたアーティストです。
まずヨルシカを知るきっかけ。
Twitterで楽器演奏する人をよく見るんですけどその中でヨルシカという名前を何度も見て興味が湧いた所かな。最初は「雲と幽霊」という曲から。
曲色々載せてくけどもし興味が出たら1番だけでもいいから聴いていってくれると嬉しいな。というか聴いてください。
当時は「音が色々あって面白い曲だなあ歌詞も面白いなあハマりそう」くらいに思ってました。でもまだ世界観が掴めてなかったのでその後はあまりなかったです。
それで1,2ヶ月くらい後かな。YouTubeのオススメのところに代表曲の1つ「だから僕は音楽をやめた」が出てきました。
お、またヨルシカだ。せっかくだから聴いてみよう。って思って聴いてみました。
まず、ピアノがかっこいい。やっぱりピアノがメインの曲は大好物。それに歌詞を見てみると考え方に惹かれる何かがあったんです。音楽に対する価値観みたいなのが。
こんな音楽ペーペーな奴が何言ってんだって話ですけど音楽って割と神聖なものだと思ってたんですよ。特にピアノとか。だから扱い酷かったり適当にオモチャとして弾いてるのが本当に気に食わなかったり。冒涜だって。そんな時期がありました。今もそうだけど。
作曲者の意図を汲み取ったり、曲に合った情景を頭に思い浮かべながら奏でる、そんな風に思考だけは一丁前だったんです。音楽が全て。
それに近いものがあの曲の中にあって。
強く心惹かれました。アルバムがもうすぐ発売!みたいに書いてあって。すぐ買いに行きました。初回限定盤。
これ当時撮った写真なんですけど木箱が特典でついてくるんですよね。特に何も調べずに衝動的に買ったので何が何だか分かりませんでしたが。
木箱の中には写真。手紙。そして歌詞。
手紙には日記や、自分の考えを記したもの。ちょうどこのブログみたいにね。
手紙の内容を見るにエイミーからエルマへ送ったもの。
とある理由で離れ離れになった2人。エイミーがエルマに送った木の箱なんです。旅をしてその旅路で思ったことを書いたり、歌詞にしたり。いわゆる紀行文。松尾芭蕉の奥の細道のような。
エイミーがエルマに送った木箱を、ヨルシカからリスナーに送った、というこの関係で物語を読むことが出来るということ。物語中でエルマが感じたことを自分達で感じることが出来ること。感情移入しやすくてかなりそのストーリーに潜り込みやすさを増したというか。
最近CDを買わない時代になってるけどCDを買うことの意味を持たせたくれたというか。上手く表現できないけど。
手紙の内容に実在の人物から言葉を引用したりする所があるんです。松尾芭蕉や、ヘンリーダーガーとか。
中でも僕が惹かれたのはオスカーワイルドという人の言葉。「人生が芸術を模倣する」
僕の解釈、まぁ他の人の解釈でもあるんですけどざっくり。芸術は人生を変える力がある、みたいな意味です。正確には、人生に沿って芸術ができるんじゃなくて芸術に沿って人生ができる。みたいな。ちょっと難しいよね。僕も最初よく分かんなかった。
たまにこの言葉使うんですけど、芸術至上主義ってやつです。
松尾芭蕉の「俳諧は三尺の童にさせよ」って内容のブログ、つい最近書いたんですけどこれもヨルシカが言ってました。新鮮な気持ちのうちに芸術をする。人生の賞味期限。
ヘンリーダーガーのことも書きました。非現実の王国で。60年間ずっとこもって作品を書き続けた人。創作家として、これが本来のあるべき姿だって。
こんな感じに色んな引用があるんです。他にも色んな人が。この引用の広さ、n-bunaさん只者じゃないなと。今まで無かった世界観を教えてくれたり、昔から密かに思ってた価値観を強めてくれたり。深く心に刺さるような。
さっき少し話した「だから僕は音楽をやめた」の話。この引用を踏まえた上で話します。エイミーはエルマを題材にした曲をたまに書いてたんです。それが自分のしたいこと、楽しみだったんです。売れることこそどうでもよかった。でもいつの日か音楽なんて儲からない、歌詞なんて適当でもいい、と最初の信念とはずれた心が生まれてきてしまったんです。それは彼の芸術至上主義と大きく違う、美学に反する。三尺の童のような新鮮な気持ちはなくなってしまった。芸術の賞味期限が切れてしまった。彼にとって芸術は人生そのものだったので人生の賞味期限が来てしまった。だから僕は音楽をやめた。そういう話なんです。
僕も音楽をもっとしたいなって思うようになったんです。自分の楽しみのために音楽をしたい。音楽さえあればいい。後はどうでもいい。そんな考え方が僕の中に生まれてきました。浪人し始めたばかりの頃。心揺らぐ時。夜になるといつもそんな風に思ってました。今でもたまに。
人生が芸術を模倣する、とまではいかないけど模倣しかけました。それほどヨルシカが与えた影響は大きすぎて。僕の緩い地盤をしっかりと固めてくれたような。今までそんな考えの人に出会ったことがなかったので嬉しかったんです。こうやってブログをよく書くようになったのもヨルシカのおかげって言っても過言じゃないくらいです。何かを生み出すことが楽しくて仕方がないんです。まだ三尺の童のまま。今はヨルシカの模倣みたいだけどいつか自分が創作する側になりたいなって。密かに心の中で思ってます。
曲じゃなくて価値観メインの話になっちゃったけど曲もいい曲ばっかです。歌詞も僕のめっちゃ好きそうな歌詞です。って言ってもピンと来ないかもしれないけど本当にいい曲ばかり。
曲もたくさんYouTubeに上がってるのでよければ見てね。僕のおすすめは「靴の花火」です。昔ブログに書いた宮沢賢治のよだかの星が少し混ざっているような。
少し長くなりすぎたかも。まだまだヨルシカの良さ語りきれないけどこの辺で終わりにします。
In The Realms of the Unreal
こんばんは、ちょっと空いた時間をブログに費やすのも結構楽しいです。
ヘンリーダーガー、という人物を知っていますか。
彼もまたアーティスト、まぁ画家、作家です。
彼はこの世を去った後に有名になった人です。死後有名というとゴッホがまず頭に浮かんだんですけどゴッホは癇癪持ちだったらしいです。だから売れなかったのかは不明ですが。
話がそれました。
彼の代表作で『In The Realms of the Unreal』というものがあります。日本語に訳すと『非現実の王国で』
ちなみに、世界一長い小説って呼ばれてます。内容はあまり詳しく知らないです。読む機会があるかは分からないけど0から見たいので。中々手が出しにくいんですよね。長すぎるので。
ヘンリーダーガーがなぜ死後有名になったのか。
彼が亡くなった後、知人が彼の家の遺品整理して家を訪れたら数え切れないほど大量の紙がそこにありました。そこには絵やたくさんの文章。
彼は作品を作ってたんです。誰にも知られず。1万5000ページの原稿と300枚を超える挿し絵。中には3メートルを超える大きさの絵もあったそうです。1人部屋の中でこもって60年以上も。80歳で亡くなってるので20歳あたりからずっと描いてたんでしょうね。だから死後有名になった。
普通、作品作ったらみんなに見せたくなりますよね、いわゆる承認欲求に近いような。でも彼はそれよりも作品を生み出すことに価値を置いて書き続けた。
これが創作家の本来あるべき姿なんだ、って言ってる人もいました。
それほどまでヘンリーダーガーが人生かけて作ったこの『非現実の王国で』 僕も読んでみたいです。長すぎるけど。1万5000ページって。読めませんよ。
僕もヘンリーダーガーみたいに承認欲求とかを捨てて自分の楽しみのためだけに色んなことをしたいって思ってます。曲作ったり演奏したり。
習慣付けるのはダメ
こんばんは、最近更新できて結構嬉しいです。楽しい。時間に追われてるのに書きたいことが沢山ある。なんかちょっと心地いいです。
皆さん日記付けたことありますか?
最近だと僕は5月あたりから1ヶ月ほど付けたことあります。昔ブログにもその事書いたね。その頃の僕はとにかく毎日つけようと。特に何も無くても無理やり特別なことを探して書く。EverydayがSpecial day みたいなタイトルでブログ書いたと思います。俵万智さんのサラダ記念日的な。
でも考え変わりました。人って変わるものですね。
毎日無理やり書くのってなんか違うなって。無理に義務付けるのは違うって。習慣になるのは美学に反するというか。こういうのって機械的に行うものじゃないですよね。自分の感じたこと、思ったことを自由に書く。それが日記であって、強制して今日のノルマをこなさなきゃ。と作業的に行うものじゃないんだって気付きました。Twitterもツイートしなきゃって思いませんよね。
僕が書いた日記で一番内容空のやつです。
まぁでも、その日どんな感情で過ごしていたのか凄くわかるけど。無理して書いてる感がありますよね。なんか病んでるのめっちゃ面白いですね。
人間、何事においても作業化したら終わりだと思ってます。
そこに感情はなく機械のように目の前のものを淡々とこなしていく。それはもはや人間じゃない。だから習慣付けるのはダメ。1日の日記の重さが軽くなってしまう。義務感を感じることにもなるし。そんなの楽しみでも何でもない。そう感じてしまうことが賞味期限なのかもしれないです。日記なんて楽しい事とか思ったこと書くのにそこで感情無くして作業化したらただの事実の羅列。内容も薄くなる。
今日は朝起きた。勉強をした。友達と笑った。楽器をした。寝た。
こんなの日記でも何でもないですよね。個人の感想です。
だから日記を毎日書くのをやめにしました。
まぁ、今ももう書いてないんですけどね。最近はブログとメモ帳とTwitterとにらめっこしてることが多いです。吐き捨て場っぽくなってきてる気がするけどまぁ気にしないでください。